3月にはいり、春らしい暖かい日が増えてきました。
それに合わせるかのように、巷では、中学、高校を卒業したとおぼしき若者を見かけることが増えました。
また、リクルートスーツ姿の若者も目立つようになりました。
『今の時期に就活?』
と不思議に思い、最近の就活スケジュールを調べてみると
2024年卒業予定者の就職解禁日は3月1日で、3月中に合同企業説明会を開催する企業も多いようです。
最近の就活は、私が大学を卒業した80年代後半とは大きく異なり、
活動そのものは全く参考になりませんが、
就活にあたって何を考え行動したのかを回想し、アドバイスさせていただきます。
定年が見えてきて、改めて自身の就活を振り返った時、
【もっと真剣に将来のことを考え、就活時に対象企業をもっと吟味していれば】
との思いがあることに気づきました。
パートナーから都度指摘を受ける
【なんとかなるさという考え方】や【調査の詰めの甘さ】
に対する後悔です。
【就職】にしろ【就社】にしろ、選んだ【会社】で、
その後の収入含め人生が大きく変わります。
【なんとかなるさ】は、危険な考えであることを強く注意喚起したいと思います。
・就職希望先の企業について、その将来性も含めしっかり調べる
(企業のHP、IRを参照。上場会社であれば四季報も有効)
・入社前の口約束は、守られるとは限らない
・好きな職種が、自身に合っている職種とは限らない
80年代後半の就職活動について
私は、1980年代後半に大学を卒業しました。バブル景気が始まる前の世代になります。
当時、【就社】という言葉はなかったので、改めて調べてみました。
就社:大企業に入社し【安定した暮らしと未来】を手に入れるということが目的。仕事の内容ではなく【会社重視】の考え方。
就職:【安定した暮らしと未来】を手に入れるということが目的。会社ではなく【職種重視】の考え方。
当時の国公立大学理系学部の就活スケジュールはおおむね以下のような感じでした。
5月:教授推薦企業の選択
学部に来た求人から、教授推薦して欲しい企業を学生が選択します。
企業ごとに推薦枠があって、その枠取りは成績順でした。
大学院生→4年で卒業予定者→4年+αでの卒業予定者
という流れで、成績順に割り振られていたように記憶しています。
学部として卒業予定者が60名程度いましたが、公務員志望者を除くほぼ100%が教授推薦による応募で
自由応募で就職した人は皆無でした。
同時期に、研究室OBがリクルータとして来訪し、自身が就職した企業のPRをしてくれました。
後述しますが、私は、リクルータに騙された口です。
6月:教授推薦企業の決定
7月:教授推薦企業との1次面談
8月:教授推薦企業との2次面談
9月:内定
就職企業の選択について
当時の私の企業選択の基準は、
【自身が今まで力をいれてこなかった分野】
という1点でした。
【好きな職種】とか【企業の規模・将来性】についてはあまり考えていませんでした。
当時、父が
『寄らば大樹の陰。
企業規模が大きいところは、入社してからも選択肢が多く、
かりに配属された部署が合わなかったとしても
他の部署に移ったりできるからつぶしが効く。』
と言っていた意味が、今ははっきり分かります。
当時の私にアドバイスを送るとしたら、こんな感じでしょうか。
特に、その企業の強みや業界事情含めた将来性についてしっかり検討すること!
リクルータに騙されたこと
結局私は、当初の教授推薦企業を辞退し、リクルータが強く推した会社に就職しました。
メーカーの100%子会社で、
リクルータ曰く、
『親会社と同等の待遇で、転勤がないことが当社最大のメリットです。』
とのこと。
30数年経過した今、私は転職して地元を離れ、リクルータだった先輩も転勤し
首都圏勤務という状況です。
待遇については、入社11年目以降役職等ポスト任用での差を感じるケースが増えてきました。
当時、課長級以上は親会社から天下ってくるケースがほとんど。
プロパー社員が課長級以上に登用される道は、まだ開かれていなかったのです。
就職、それとも就社?
社会人になって
プログラマー、システムエンジニア、セールスエンジニア等々を
経験しましたが、幸いにも仕事自身は私に合っていたようです。
職種毎に職場も変わりましたが、いずれも楽しく仕事することができました。
結果的には、私の場合は、【就職】という形にはなったのかもしれません。