50代の債務整理(個人再生)人生リスタート

昭和の自分を振り返って気づいたこと



  

 

最近、昭和の文化や風習について紹介し、

若者に『信じられない』と驚かせる(引かせる)ようなテレビ番組を目にします。

私は80年代に会社員となりました。

よくよく考えてみると昭和をリアルタイムに経験し、

伝えることができる現役サラリーマン最後の世代です。

 

80年代の職場環境について

当時分煙なんて考え方はありません。

私はタバコを吸ったことがありませんが、

自席でタバコを吸いながら仕事をするのはごくごく普通の光景でした。

上司にお茶を出すのは事務担当の女性社員。

上司はコミュニケーションのつもりだったのでしょうが、

女性社員の体に触れる行為も日常茶飯事。

今の世の中だと完全にセクハラです。

もちろんパワハラ的な行為も当たり前でした。

自席に部下を呼びつけ、周りに聞こえるような大声で30分以上の叱咤激励(?)

機嫌が悪い時は、1時間を超えるようなパワハラ指導を行う上司も

数多くいたことを記憶しています。

幸いにも私自身はターゲットになることはありませんでしたが、

ターゲットになった社員はうつ病を発症し、長期間会社を休むこともありました。

当時は、うつ病に対する理解はほとんどなかったので、

病気ではなく、サボっていると認識されていたケースも多かったと思います。

そういう意味では酷い時代です。

 

 

80年代会社員の働き方について

『24時間働けますか?』なんて歌が流行っていた時代ですから、

皆遅くまで会社にいました。

仕事が捌けずに、残業していた人も一定数はいたはずですが、

とにかく生産性より、在場時間で評価されていた気がします。

24時を過ぎて帰宅するのは当たり前。

普通就寝する時間帯ですが、会社には誰かが必ず残っていました。

ある時、他部署で30代のエース級と言われる方が、

異動して私の所属部門の長として赴任しましたが、

とにかく遅くまで会社に残る人でした。

その後、その方は残業が少ない部門に異動しましたが、そこでも同じような働き方。

当時の『エース級』という称号は、

長時間会社に滞在する人に付けられる称号だったのかもしれません。

笑えない話です。

 

 

80年代会社員のアフターファイブ事情について

私が当時所属していた部署は同期も多く、年の近い先輩も多かったのですが、

遅い時間に仕事が終わったとしても、

皆そこから飲みに行く、飲みに誘う元気がありました。

誘って断るような先輩もいませんし、私自身も断ったことはありません。

遅くまで飲み歩いても、

普通に8時頃には出社し仕事していましたから、皆若かったんですね。

現在は立場上、『誘われたら断らない』ということを心がけていますが、

急な誘いの耐性が弱くなっているのは、もはや若いとは言えないからでしょうか。

 

 

昭和を振り返って

社会人になってからは、とにかく消費・消費・消費という生活でした。

車にブランド物の服に、合コン、飲み会、

極めつけは実家を出て一人暮らしと

お金がかかることばかり好んでやっていたようなものです。

毎月数十時間の残業もあり、

それなりの手取りはあったはずなのですが、

こんな暮らしでは貯金などできるはずもありません。

少なくともボーナスは使わずに貯める、毎月持ち株を購入する、

給与天引きの定期預金をする等

今では当たり前の工夫を少しでも意識していれば、

50代になって債務整理を行うこともなかったはず・・・。

過去を振り返るたびに、お金の使い方については反省・反省・反省です。

 

50を過ぎてお金に関する学びのスタートラインに立てたきっかけが

債務整理というのは情けない限りではありますし、

一回り年下のパートナーからお金に関する全てを管理監督されてはいますが、

学びの中で何度も聞いた【今日が一番若い日】という言葉を胸に、

毎月の収支管理を徹底しながら、貯蓄、投資、仕事を賢明に続けています。

 


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